2009年8月 3日 (月)

オリコン実質敗訴

8月3日、東京高裁でオリコンは何と判決を待たずに自らが「敗訴」を宣言する「請求放棄」をしました。
法的には「自分の請求(提訴)には理由がないので、提訴を放棄する」という宣言だそうです。

事実上のオリコン敗訴です。
8/4 16:00から、本件についての説明会があります。
東京/霞が関の弁護士会館12F 1207会議室
http://www.nichibenren.or.jp/ja/direction/

弁護団長の飯田正剛弁護士が同席します。
飯田団長はお仕事のため17:00で退席されますが、烏賀陽さんはその後もしばらくいらっしゃるそうですので、取材の方は電話をくださいということです。
電話は横山が知っています。

ところで「提訴の取り下げ」と「請求放棄」は意味が違うそうです。
「提訴の取り下げ」は「訴訟はなかったことにする」という原告と被告の合意。
勝ち負けはなく、最初からなかったことになる。
(相手が裁判に応じる前なら一方的な取り下げもできるみたいです)

「請求放棄」は「請求には理由がないので提訴を放棄する」と一方的な宣言。
放棄した方が誤りを認めたということで、烏賀陽氏の言葉によると「戦争でいえば『降伏宣言』」。

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2009年7月16日 (木)

twitterの発言の改ざん

なんか、twitterの発言を改ざんするロボットがいるそうです。

結果的に、知人が私の悪口を書いているように見えるとか。

危害を加えられるわけでも、資産が盗まれるわけでもないので気にしていませんが、皆さんはご注意ください。

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2009年5月28日 (木)

再開するかも

開店休業中だったこのブログも再開しようと思います(が、続かないかもしれません)。

「IT嫌いはまだ早い」は@ITさんのサイトに移動しました。後日談も追加しておりさらにお得です。

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2008年7月20日 (日)

「IT嫌いはまだ早い」2005年12月号

月刊「Windows Server World」(http://www.windows-world.jp/) 連載の「IT嫌いはまだ早い」より

編集作業が入る前の原稿なので、出版されたものとはタイトルを含め、内容が若干違います。

気づいたら前回の掲載は1年前でした。その前も1年前ですので、ほとんど年刊AhSki!の世界です。

Wordからそのまま貼り付けたら、レイアウトがちょっと変ですが勘弁してください。しかも、編集部に対する連絡事項がそのまま残ってます。


IT、特にインターネット技術により、生活の質が向上したのは確かである。しかし、ちょっと危ない面があることも確かである。今月は、ITの暗黒面について考えてみたい。

●世界中の人が幸せになるには

庄司薫の「さよなら怪傑黒頭巾」(中公文庫)だったかに「法学部とは何をするところか」と聞かれて「世界中の人が幸せになれるように考えるところだ」と答えるシーンがある。

ITはどうだろう。やはり、世界中の人が幸せになるための技術であると思いたい。実際、インターネットは生活の質を向上させるために多くの貢献をした。書籍販売だけを考えても分かる。たとえば、2002年に発売された出版された書籍や雑誌その他資料は74000点を超える(「出版年鑑+日本書籍総目録」より)。なんと1200冊以上の量である。これだけの量があると、すべての書籍がすべての書店に流通するわけではないし、仮に流通しても書店で必要な本を見つけることは不可能だろう。最近の技術書の一般的な初版部数は3000部から5000部であるが、どう考えても書店の数はもっと多い。しかし、オンライン書店ならすべての書籍が流通できるし、高度な検索機能も使える。音楽にしてもそうだ。インターネット音楽配信は、大手よりもむしろインディーズ系アーティストのサポートに一役買っているらしい。インターネットは流通の壁を越えた。

ITがもたらす陰★トル? インターネット販売から認証へ流れるのが自然?

インターネットの弊害というのは昔からいろいろ言われている。確かに出会い系サイトは買売春の温床となり、アダルトサイトは若年者に対し健全なセクシャリティの形成を阻害し、さらに、各種詐欺やその他犯罪の温床となっている。しかし、そういうものは程度の差はあっても、インターネットが普及する以前からあった。問題視するほどの「程度の差」はない、というのが筆者の持論である(問題になるほど程度の差が大きいと思う人もいるだろうが)。もちろん、現実社会と同程度の適度な規制は必要だと思うが、ITの直接的な責任はそれほど大きくないと思っている。ちょっと甘い考えだろうか?

●パスワードとバイオメトリクス認証

ところで、オンラインバンキングやオンラインショッピングには本人確認(認証)がつきものだ。広く使われている認証は「本人のみの記憶」に頼るパスワード方式であるが、同じパスワードを数か月以上使い続けるのは好ましくないとされている。可能なすべて組み合わせを片端から試す「総当たり攻撃」をかければ、数か月以内にパスワードを解読できるからだ(ただし、現在の日本の法律では、目的を問わず総当たり攻撃をするだけで犯罪になるので注意)。総当たり攻撃を回避するには、パスワードが解析される前に別のパスワードに変更するのが確実だ。ところが、十分複雑な文字列をひんぱんに変更するのはかなりの負担である。

そこで、紛失もせず、忘れることもない「本人の身体」を使った認証技術が登場した。「バイオメトリクス認証」である。ご存じの通り、バイオメトリクス認証は人間の身体的特徴を元に、その人が本人かどうかを確認する技術だ。よく使われるものには、指紋、手のひらの静脈パターン、(目の)虹彩、顔などがある。

●バイオメトリクス認証に反対します

バイオメトリクス認証は、一見、素晴らしい技術に思える。しかし、本当だろうか。小説ではアルセーヌ・ルパンがひんぱんに指紋を偽造しているし、映画「マイノリティ・レポート」では、眼球移植手術を受けるとともに、摘出した眼球を持ち歩くことで、虹彩認証の対象者を使い分けている。

現実はもっと滑稽である。指紋はゼラチンで偽造でき、静脈認証は大根の繊維と区別できない場合があったという。デジカメで撮った目の写真で虹彩認証をパスしたという話もある。研究者は生体固有の反応を使うことで回避しようとしているが、何かおかしくないだろうか。欲しいのは、その人が本物かどうかであって、本物の指や目を持っているかどうかではないはずだ。

いったん流通した偽造データを防ぐ方法がないのも問題だ。偽造技術がある限り、一度でもデータが盗まれた部位は二度と認証に使えないのである。

別の意味で深刻な問題もある。マレーシアでは指紋認証システムを搭載した自動車を盗むため、持ち主の指を切り取ったという事件が起きている。死んだ指では認証できないシステムもあるが、死体では駄目だということが犯罪者に周知されない限り、リスクは残る。さらに深刻なのは、単に認証をできなくする「嫌がらせ」だ。たとえば。指紋認証システムを使う人の両手を損傷させることで、認証を阻止する。考えただけでも恐ろしい。

人の身体よりも大切な情報というのは何だろう。1人の人の身体を犠牲にしても守るべき情報というのはそう多くはないはずだ。

●バイオメトリクス認証の本質的な欠陥

バイオメトリクス認証にはもうひとつ、致命的な欠点がある。それは、人格ではなく身体の証明しかしないことだ。たとえば、手塚治虫の名作「ブラックジャック」には、他人の腕を移植する話があったと記憶している(これは記憶違いかもしれない)。この場合、指紋は認証としての機能を果たさない。多湖輝の著書「頭の体操」(光文社カッパブックス)には「脳移植をした人の身体は誰のもの?」という問題があった。いうまでもなく、身体は脳のものである。つまり、脳移植をすればどんな生体認証も通過できる。幸い、今のところ、そんな技術が実用化される気配はないが、遠い将来ないとは言えない。

●なぜ、スマートカードでは駄目なのか?

家の鍵のように、「本人のみの所有物」で確認することもできるが、それでは紛失や盗難を防ぎにくい。しかし「スマートカード」を使えば、多くの問題は解決するように思う。

スマートカードは「カード」という物と、スマートカードの情報を読み出すためのパスワード(PIN)が必要である。何度も間違えてPINを入力すると、スマートカードにハードウェア的なロックがかかり使えなくなる。カードの所有者とPINの記憶者を別の人にすれば、2人が共謀しない限り悪用を防ぐこともできる。スマートカードの読み取り装置はバイオメトリクス認証の装置よりも特に高価ということもない。しかもWindowsには標準機能として備わっている。低コストで便利なのに、銀行やクレジットカード業界を除けば普及率は低い。バイオメトリクス認証にそれほど入れ込む意味は筆者には理解できない。

★あふれ★

●情報収集の恐ろしさ

JR東西日本が導入しているICカード乗車券(Suica/ICOCA))がある。このICカード、乗降駅と時刻を中央のコンピュータにも記録しているのだという。紛失した場合、再発行時にチャージされている金額を再登録するためのようだが、考えてみるとこれも恐ろしい。定期券とセットになっているタイプなら氏名と電話番号も記録されているので、誰がいつどの駅を利用したかが掌握されてしまうのだ。悪いことをしていないなら構わないではないか、と言う人もいるかも知れないが筆者はちょっといやだ。そういえば近所の人と外で出会うと「どちらへお出かけですか」と尋ねる人がいる。伝統的な応答は「ちょっとそこまで」である。行き先はプライバシーのひとつであり、むやみに問いつめるものではない。もちろんJRでも、ICカードから収集された情報で何かを管理しようとは(今は)思っていないという。

企業内の活動についてはもっと詳細な情報が収集されている。誰がいつどのWebサイトにアクセスしたかを記録するのは当然だし、電子メールの送受信記録もある。磁気カードによるドアキーには、誰がいつ出入りしたかを記録する機能もある。

こうした情報は、確かに便利な面もある。特に犯罪捜査の際には決定的な証拠となる。自分の身の潔白を証明するため、そして犯罪者を捕らえ、犯罪を抑止するには、こうした監視技術を積極的に受け入れる人も多いだろう。そして筆者は思うのである。「ビッグブラザーは望まれてやってくる」と。

●ビッグブラザーは誰か?

ビッグブラザーはジョージ・オーウェルの小説「1984年」に登場する独裁者の通称であり、市民生活を細部まで監視するシステムの名前でもある。実際の1984年にはアップルコンピュータが「IBMがビッグブラザーである」と示唆するCMを作って話題になった。IBMに代表される大型コンピュータこそ独裁の象徴であり、アップルに代表されるパーソナルコンピュータが自由の象徴であったのだ。IBMPCを発表するのは1981年であるが、1984年当時は依然としてIBMは大型機のベンダーであった。

ところが今はどうだろう。個人の行動を収集し分析するには大型コンピュータではなく、携帯電話の方が適切かもしれない。GPS付きでなくても、基地局の通信履歴からおよその移動経路を追跡することは可能である。しかし、携帯電話の通話記録を使った追跡が、誘拐などの犯罪捜査に大きく貢献していることも忘れてはならない。

最近出版された『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?(森健著・アスペクト刊)には、こうしたさまざまな問題点を集めた長編ノンフィクションである。著者の森氏はどちらかというとITを活用している部類に入るだろう。それだけに「ではどうすればいいか」ということは提示していない。筆者も提示できない。しかし「便利だからいいじゃないか」と思考を止めてはいけないと思う。

新しい技術には常に暗黒面がある。ダイナマイトは大規模工事には不可欠だが戦争にも使われる。携帯電話に付いた小型カメラはコミュニケーションの道具として楽しい反面、盗撮にも使われる。新しい技術に関わる人は、常に、世界中の人が幸せになるためにはどういう使い方をすれば良いかを考えていて欲しいものである。

アニメ「鉄人28号」の主題歌には印象的なフレーズがある。なかなか示唆に富んだ言葉なので、この言葉で締めくくりにしたい。

「ある時は正義の味方、ある時は悪魔の手先、良いも悪いもリモコン次第」**)

*)「出版年鑑+日本書籍総目録」(http://spn05905.co.hontsuna.com)

**)JASRACの承認が必要?

★あふれ★

そもそも、キャッシュカードやクレジットカードの暗証番号を8桁にしないのはなぜなのか。理想的なパスワードは「複雑で長いもの」だが、「複雑な短いもの」よりも「簡単でも長いもの」の方が安全とされている。8桁のうち、先頭または最後の4桁は誕生日でも良いとか、4桁の繰り返しでも良いとか、そういう安易なものであっても、4桁のままよりははるかに安全だろう。昔と違って、カードには暗唱番号が記録されていないのだから、それほど難しいこととは思えないのだが。


ちなみに、この回はラストの台詞が全然違って、以下のようになりました。

ほんとうに怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる。

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2008年6月16日 (月)

【読書日記】フロン

岡田斗司夫「フロン」(幻冬舎文庫)
今年11冊目、出張中に読んだ3冊の最後。

夫婦関係についての評論。
読む気はなかったのだけど、とりあえずついでに読んどけ、ということで読む。

ご本人は、自分の論理展開にいたく感動されたようですが、フェミニズムを一通り見た人間から見ると、正直言ってそれほど目新しいものはない。
もっとも、上野千鶴子とテレビの田嶋陽子しか知らない人にとっては新しいかも。

それにしても、上野千鶴子が文句を言ったのが不思議。
(あの人は策士だから何か意図があるのでしょうけど)
フェミニズム(の一部)の基本は、家族単位から個人単位へのパラダイムシフトのはずで、だとしたら目的に応じてパートナーを変えることも不思議ではないはず。

同じフェミニズムでも、伊田広行だったら肯定したと思う。
実際、彼の著作には似たような話が出てきたと記憶している(確か1998年の「シングル単位の恋愛・家族論」)。

ところで、今調べたら伊田さん、いろいろ批判されてて大変そうです。
1週間ほどの中国旅行で同室だったよしみで同情します。

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2008年6月15日 (日)

【読書日記】オタク学入門

岡田斗司夫「オタク学入門」新潮文庫
今年10冊目

1996年に出版されたものを、文庫版で新装刊。
オタクがどんな風にものを見ているのかという入門書兼解説書。
こっちを先に読めば良かった。

ああ、そういえばこういう見方もしていたな、という印象。
自分で意識していなかった部分、全くしていなかった部分の両方があって(でも、そういう見方があることは知っていた)面白かった。

一番おかしかったのは「SONY SL-J9」のあるところにオタクが集まるという話。

SL-J9(通称ジェイ・ナイン)は、スロー、コマ送りが可能なベータマックス式ビデオデッキ。
ちらつきなしのコマ送りはこれが最初だったはず。
そりゃあ、もう、集まりましたよ、毎週。

機動戦士ガンダムの頃は、J9がまだなかったこと、関西では木曜日の午後5時という時間だったので、学校が終わってから、学校の近所の友人の家で見てました。
彼の家には珍しくビデオデッキがあったので、一応録画して、前の週に見逃した人のための上映会もやってました。

でも、テープは高価だったので、2週以上は保存せず、上書きしてました。
おかげでガンダムの終わることにはテープがよれよれ。

さて、巻末に追加された岡田斗司夫・富野由悠季対談は面白かったけど、本編の方は「オタクはすでに死んでいる」を読んだあとだと、絶滅文化の紹介記事に見えてしょうがない。

ローマ人の宴会は、食べたものを吐いて...
スパルタの軍事訓練は...

なんか、そんな感じ。

ところで、「オタクはすでに死んでいる」で書き忘れたこと。
「第1世代のオタクにとって宅八郎の登場は不快ではなかった」
というのは、まさにその通り。
彼の行動は明らかにテレビを意識したものだったので
「そこまでやるか」と感心はしたけど不快な感じはしなかった。
一般的に不快感を与える演出だと思ったけど、オタクにも不快感を持つ人がいたというのは初めて知ったくらい。

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【読書日記】オタクはすでに死んでいる

岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書)
今年9冊目

世の中で、オタクというものが肯定的に見られはじめたと同時に、「純粋オタク」が消滅したという話。
これは、確かに前から薄々気づいていたことだけど、岡田斗司夫がうまくまとめてくれた。

オタク的見方、たとえばアニメの作画がどうとか、このシーンはここのパクリだとか、特典が違うだけのDVDセットを毎回買ってしまうとか、食玩ほしさにケース買いするとか、そういうオタク的行為は一般化しつつある。

子ども向け番組を大人が見ることも抵抗ない。
柔道の井上康生は「我が柔道人生に悔いなし」と記者会見で言ったが、これは「北斗の拳」の羅王の台詞(あとでワイドショー見たら本人も認めていた)。
一流のスポーツ選手が、引退の記者会見で、アニメの台詞をパクルなんていうことは、昔では考えれなかったはず。

ところが、こんな風にオタク的行為が広まるとともに、本来オタクが持っていた共同体意識が薄れている。

ぼくらの頃は、美少女アニメが好きでなくても「トップをねらえ」は義務で見るべき作品だったし(見たら面白かったけど)、際どいところでは「くりぃむレモン-ポップチェイサー」まで見た。
(実は、庵野秀明が関わっていたことは最近知った)

ジャンルを超えたオタクの連携もあった。
特撮8mm映画を作っていた頃、Nゲージのジオラマ経験者が大活躍だった。
そのほか、東海道線の全駅を暗唱できる芸を持ったやつがいて、去年、同窓会で30年ぶりに聞いた。速度は落ちていたものの、記憶は確かだった。

最近は、ジャンルの違うオタク同士は一緒に遊ばないらしい。
それから「義務で見るべき作品」というのもあまりないらしい。
何しろ「自分の気持ち至上主義」なんで。

たとえば喫煙の習慣は世界中に広まったものの、宗教儀式としてのタバコの利用は消えたのと似てる(とは書いてないけど)。
オタク文化は、以前のような特定のコミュニティとしては死んだが、その一部だけが抽出されて社会全体に広まったと考えるのが自然ではないか。

そうすると、ぼくの周りの人は「アイヌ語をしゃべる最後の人」みたいな扱いか。
ずっと迫害されてきたことも似てる。
(いや、これは冗談。アイヌの迫害に比べればオタクの迫害なんて実害ゼロです)

ところで、タイトルはもちろん「北斗の拳」のパクリだが、そんなことはどこにも書いてない。
この程度のオタク的知識は常識となったからだ。
なかなかうまいタイトルだと思う。

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2008年4月29日 (火)

これでいいのか焼鳥屋

御殿場の焼鳥屋で、面白い目に遭ったので、御殿場観光協会に以下のようなメールを出しました。
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はじめまして。
先日、所用で、御殿場に行ったので、御殿場市観光協会が発行する地図に載っていた「五月」という焼鳥屋(0550-89-5505)に行きました。

カウンターに座っていたら、後から隣に2人連れが入ってきました。
2、3品頼んですぐ出て行こうとしたところで何か様子が変です。

「え、お茶が600円?」
「はい」
「あの、飲み屋で暖かいお茶頼んで600円っていう店ある?」

「カサゴは550円ってメニューにあるけど、750円になってるよ」
「はい、日によって大きさが違いますので」
「それはいいけど、注文するときか、最悪でも品物を出すときに言ってよ」

店長出せ、ということで店長が出てきたら「じゃあ値引きします」
そこには、「値引きすればいいだろう」という態度が見えています。
口では謝っていますが、謝罪している態度ではありません。
私の勘定書も調べてみたら、案の定、いくつか値段が違ってました。
指摘したら「じゃあそれでいいです」
繰り返しますが、値引けばいいというもんではありません。
この店に二度と行くつもりはありませんが、このような店が、御殿場観光MAPに載っていたということをどのようにお考えでしょう。
それとも、御殿場では、お茶1杯がビール並みの価格で、メニューの価格は当てにならないのでしょうか。

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2008年4月26日 (土)

名誉毀損訴訟

オリコンが、ジャーナリストの烏賀陽氏を訴えていた事件については以前から紹介しています。

4/22(火)、東京地裁は烏賀陽氏の主張を、ほぼ全面的に退けました。詳細は、烏賀陽氏のWebサイトをご覧ください。

ところで、この判決にはいくつもの疑問があります。私、法律については素人ですので、思い違いだったらご指摘ください。

まず、「訴訟後に収集した情報は信用できない」という点。訴訟後に情報が収集できないのなら、「新しい証拠が出たので再審請求する」という理屈は成り立たないのでは?

次に「コメントがそのままの形で掲載されることが予想される場合は責任がある」という点。プロのジャーナリストが「そのまま掲載される」なんて思うでしょうか? 事実、烏賀陽氏は不本意な紹介のされ方をしたと漏らしています。
逆に、普通の人は、コメントはそのまま掲載されると思うでしょう?

法律が、生活感覚に合わない場合があるというのはよくあることですが、証拠らしい証拠も提出していないオリコンの言い分が認められたのは意外です。

そういうことを考えていたら、週刊アスキーの「仮想報道」というコラムに「あっというまに名誉毀損の被告人」という記事が掲載されました。Webでも読めます。

そこで紹介されている書籍「名誉毀損裁判」によると、「王様は裸だ」と叫んだ場合、「王様が裸だということは見ればわかるし、ほんとうのことではあるけれど、王様の社会的地位を下げたことは明らかで、訴えられる可能性があるというわけだ」そうです。

名誉毀損裁判の判決はどれもそうらしいのですが、ある発言が真実であるかどうかは関係ないようです。ただ、その発言が相手の名誉をおとしめたかどうかが問題だとか(だから「名誉毀損」なんですが)。

たとえば「Aさんはカツラだ、なぜなら髪型が不自然だからだ」と言った場合「髪型が不自然なだけではカツラだと断定できない」と言うことで名誉毀損になるかもしれません。
実際にAさんがカツラかどうかは問題ではないのだそうです。

いずれにしても、なんだか面倒な話になってきました。
これでは、うっかりコメントもできません。だって、自分のコメントが改ざんされて掲載されるなんて思っていませんから。

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2008年4月19日 (土)

【読書日記】翻訳夜話2『サリンジャー戦記』

文春新書『翻訳夜話2「サリンジャー戦記」』村上春樹・柴田元幸

8冊目

村上春樹が "Catcher in the Rye" を翻訳したときの対談と、訳書につけるはずだった解説。
村上訳の「ライ麦畑」は読んでないのだけど、対談と解説だけは読んでおこうと購入。

「ライ麦畑」を読んだのは、たぶん高校2年生の頃。いろいろあって、かなり参っている頃に読んで救われたのだけど、かなり個人的な事なの仔細は省略。

もっとも「ライ麦畑」は、次にどこに行けばいいのかは示してくれなかった。

その直後に読んだのは庄司薫の「赤頭巾ちゃん気を付けて」。これを読んで、方向がちょっと見えてきた。サリンジャーも、庄司薫読めば良かったのに(うそですけど)。

ただ、文庫版「赤頭巾ちゃん気を付けて」の解説で「本書の読者である若者たちが『海のような男になろう』の意味が分かっているかどうか疑問である」というのは大変失礼な言い方だと思う。そういうあなたは分かっているんですか、と問い詰めたい。

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