« オリコン、ジャーナリストの烏賀陽氏を訴える | トップページ | オリコン訴訟事件その後 »

2007年1月11日 (木)

看板を背負う生き方

古い知人の及川卓也さんが、Microsoftを辞めて転職した。

その理由のひとつに、(Microsoftという)看板を背負うことについての違和感があったという。

ぼく自身は、(当分の間は)今の勤務先(グローバルナレッジネットワーク)の看板を背負って働くことに決めた。
イチローは、イチロー個人として優秀なプレーヤーであることで、マリナーズの価値を上げる。一方で、マリナーズはイチローを適切に活用することで球団の価値を上げる。
そういう関係が、一般企業でも成立するのではないかと期待している。

だから「グローバルナレッジの横山さん」と呼ばれることは非常に嬉しい。
(が、残念ながら及川さんとは逆に社名の方が付いてきていない)

マイクロソフトくらい巨大で有名な企業になると難しいだろうが、たとえばDavid Cutlerなんかがそういう立場なのかなと思う。
David Cutlerは、今でもコードを書いているそうだ。
無理にマネージメントに専念させないのはマイクロソフトの見識だろう。

|

« オリコン、ジャーナリストの烏賀陽氏を訴える | トップページ | オリコン訴訟事件その後 »

コメント

誤解を恐れずに言うと、それはマイクロソフトの見識というよりも、アメリカのIT会社のほとんどがそういう常識を持っていると思っています。つまり、現場と管理者では必要なスキルが違う、そもそも異なる職種なのだという認識はとても一般的なもので、すでに常識と言っていい。極端なたとえですが、会社の都合で 30歳までは画家で 30歳からは音楽家にコンバートするというようなことは、どう考えても合理的じゃないし、音楽家に「昇進」というのは考え方がそもそもおかしい。
このような現在の常識が、マイクロソフトから出てきたのか、シリコンバレーから出てきたのか、違うどこかから出てきたのか、それとも最初からそうだったのかはまったく知りませんが、ぼくがこの十年でアメリカで見てきた範囲では、優秀なプログラマがプログラミング以外の仕事ばかりやってスキルを無駄にしているというような光景は、小さな会社以外では見たことがありません。(小さな会社では、みんなが何でもやるのはある意味、当たり前。)
プログラマというキャリアパスを選んだ人は、プログラマという仕事のまま偉くなって行く(もしくは行かない)わけです。会社側としても、本人が望んでいないプロジェクト管理の仕事をさせようとすれば、その社員を失う可能性があります(転職すればいいだけですから)し、そもそもその人の専門家としてのスキルを無駄にする理由がありません。必要ならば、管理者は管理者として新たに雇えばいいし、プログラマはそもそもプログラマとして雇ったわけですから。
日本では、「管理者の方が偉く、また、年上の方が偉い」ということになっているため、こういうやり方はなかなか難しいんだろうと思いますが、才気あふれる若いプロジェクト管理者と熟練の中年プログラマというような光景がふつうになっていかないと、生産性は上がって行かないと思いますし、いつまでも若人たちの才能と体力頼みでは、先は厳しいなあと感じています。
本題からだいぶずれてしまってごめんなさい。

投稿: nh | 2007年1月11日 (木) 06時08分

コメントありがとうございます。
確かに、米国での「専門職」に対する態度は違うと思います。
ただ、日本IBMの方(確か椎名さん)も「(米国でも)管理職から技術職に異動すると降格と思われる」と書いているので、ある程度「管理職が偉い」という風潮もあるのかもしれません。

でも、日本の制度も悪いところばかりではありません。
転職というリスクを冒さなくても、多くの職種を経験できる(経験させられる)のはメリットだと思います。
問題は、与えられた職種が自分に合わない、あるいは変わりたいと思ったときに変われないことです。

投稿: 横山哲也 | 2007年1月11日 (木) 14時38分

横山さんの言う、「日本の制度も悪いところではありません」はそのとおりですが、日本企業の課題は会社が村社会になってしまっているところだと思います。いくらゼネラリストとしてのキャリアを積んでいても、そのゼネラリストとしてのスキルがほかの会社で必ずしも通用するものではない(ことが多いのではないでしょうか?)。

あと、元の話に戻りますが、「看板を背負うことに違和感があった」というよりも、「看板を背負うことで、自分が過大評価されていることに違和感があった」というのが言いたかったことです。サラリーマンですから、看板を背負って仕事をするのは当たり前ですが、「XXXの及川」の「XXX」を出すだけで、本来ならば会ってもらえないような人に会えたり、話を聞いてもらえたりすることが多かったです。また、初対面でも、あきらかに相手の対応が違ったり。そのようなことに「違和感」があったことを書いたつもりでした。わかりにくくてごめんなさい。

イチローとかDave Cutlerなどは、看板が何であれ評価されるだけの力を持っていますので、看板である組織を彩ることもできますし、逆に看板により自分の評価も高めるというWin-Winの関係を築けていると思います。そんな風になりたいと思います。まだまだですが。

投稿: 及川卓也 | 2007年1月12日 (金) 23時27分

ごめんなさい。追加です。

上のコメントで書いた「村社会化した会社」への不安は日本企業特有のものではないです。外資系でも同じです。私の転職はそれも理由であります。詳しくはヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)に書いてあるキャリアのサニタイズもしくはキャリアロンダリングという部分を読んでみてください。

投稿: 及川卓也 | 2007年1月12日 (金) 23時36分

なるほど。
それは(現在オリコンから訴えられている)烏賀陽さんも言ってました。
朝日の記者だといえば、たいていの人が会ってくれるが、それは自分を信頼してくれているからではない、と。

幸か不幸か、うちの会社はそんな力はありませんので、身の丈相当のところで頑張ってます。

投稿: 横山哲也 | 2007年1月13日 (土) 01時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127966/13431071

この記事へのトラックバック一覧です: 看板を背負う生き方:

« オリコン、ジャーナリストの烏賀陽氏を訴える | トップページ | オリコン訴訟事件その後 »