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2013年1月 5日 (土)

【読書日記】路上シンガー宮崎奈穂子

 もともと、商業Webサイト向けに書いたのですが、「宣伝色が強すぎる」ということで、大幅にカットされました。これでも、宣伝にならないように注意したんですが。

 今回は、元原稿を全文公開します。


 路上ライブを中心に活動しているシンガーソングライター宮崎奈穂子(みやざきなほこ)が、今年11月2日に武道館で単独コンサートを開いた。それにあわせて彼女の著書が2冊出た。『路上から武道館へ』と『路上シンガー宮崎奈穂子』である。いわゆる「タレント本」ではあるが、だからといって他の本よりも価値が低いわけではない。ファンだからという理由で紹介するわけでもない。一般書として「キャリアを求めた1人の人間が、何に悩み、何を行なったかを振り返る話」として読んで欲しいので、ここで取り上げる。

路上から武道館へ

路上シンガー宮崎奈穂子 武道館公演への軌跡 ~Birthday Eve~

 両書には内容の重複も多いが、全体のトーンが違う。『路上から武道館へ』は、プロとは言え、メジャーレーベルとは縁のない路上アーティストが、いかにして武道館コンサートを成功させたかを語る内容になっている。版元の中経出版はビジネス書を多く手がけているためか、サクセスストーリーや夢を実現する方法論としての側面が強い。

 一方の『路上シンガー宮崎奈穂子』は、彼女の生い立ちから、路上で歌うに至った背景などが、失敗談も含めて詳しく書かれている。こちらの版元は梓書院。扱うジャンルは幅広いが自叙伝などが多いようである。

 「成功するために何をしたのか」に興味のある人は『路上から武道館へ』、歌手としての宮崎奈穂子のキャリアに興味のある人は『路上シンガー宮崎奈穂子』がおすすめである。今回は、キャリア論として『路上シンガー宮崎奈穂子』の方を取り上げるが、一方でしか語られていないエピソードもあるので、より深く知りたい方は両方を読むことをおすすめする。

 最近の宮崎奈穂子は、就職活動中の学生に人気があるという。歌手という職業は、それほど一般的なものではないが、その過程はキャリアを求める多くの人の参考になるはずだ。

●目標を立てても、それにとらわれすぎない。

 人間のキャリアの多くは偶然作られると言われる。目の前のことに全力で取り組み、できることをやっているうちにキャリアが自然と作られる。1つの目標に固執すると、かえってキャリア形成を阻害する。スタンフォード大学のクランボルツ氏はこれを「計画された偶発性理論」と呼んだ。

 クランボルツ氏によると、予想しない偶然的な出来事を活かすには以下の5つの要素が必要だという。

  1. 好奇心
  2. 持続性
  3. 楽観性
  4. 柔軟性
  5. 冒険心(リスクテイキング)

 面白いことに、宮崎奈穂子にはこれらの要素がすべて備わっている。彼女は「歌手になる」という目標を立て、一直線に進んでいったように見えるが、本書を読むと案外寄り道の多いことが分かる。小学生のときは、合唱部とブラスバンド部の両方に所属していた。どちらかを選びなさいと迫る母親に対して「両方やる」ときかなかったという(好奇心)。

 中学では吹奏楽部に入り、肺活量を付けようとサックスを担当したかったのに、担当したのはパーカッション。しかも最初の半年はメトロノームに合わせて1日3時間机を叩き続けた。もともと「同じことを継続する習慣があった」というが、本意ではないことをこれだけ続けられるのは普通ではない(持続性)。

 後になって「この経験が基礎的なリズム感を養うことができた」と振り返るわけだが、当時は「なんでこんなことやっているのだろう、選択を失敗した」と思ったこともあるに違いない。しかし、ここで「歌手になるには無駄な作業だ」と思って、1日30分しか練習しなければ本当の無駄になってしまったかもしれない。3時間やったからこそ役に立ったと言える。

 高校では弾き語りができるようになりたくて、ギターをマスターするために軽音学部に入ろうとしたら、マンドリン部に誘われ、そこでクラシックギターを弾いていたという(ギターとマンドリンはセットで演奏されることが多い)。

 こうして列挙してみると「歌手」という目標から微妙にずれていることが分かる。本人は大まじめだったと思うが、知らないうちに「目標にとらわれすぎない」という原則を満たしていたことが分かる。

●チャンスは前髪をつかめ

 本書で一番驚いたのは、ろくに曲を作ったこともないのに「作詞・作曲ができます」とプロフィールに書き、「月末までに何曲作れますか」との質問に「10曲」と答えた無謀さである(楽観性と冒険心)。結果的に約束通り10曲できたことにはもっと驚く(『路上から武道館へ』によると最終的にできたのは11曲)。人間、やる気になればできるものである。会社でも、部下を育成するときに「ストレッチ目標」といって、本人の能力よりも少し高い目標を掲げることがある(決してパワーハラスメントではない)。しかし、自分からストレッチ目標を設定できる人はなかなかいない。つい楽な方に流されるためだ。まだデビュー前で、失うものがなかったとはいえ、大胆な行動である。

 事務所と契約し、両親と一緒に先輩歌手の路上ライブを見たときの台詞も面白い。他人事ではなく、自分のこととして路上ライブを見た感想は「こういうことをやるのか……」だったのに、両親から「オマエは本当にこういうことがやりたいのか?」と聞かれて「路上ライブをやりたい。こういうことがやりたかった」と即答してしまったという。「神様からあたえられたチャンスをムダにするわけにはいかないと思ったんです」と語る。

 武道館コンサートは、所属事務所が「1年間でサポーター(ファンクラブ会員)を1万5,000人集めたら武道館を予約して単独ライブを行なう」という企画に宮崎奈穂子が乗ったものである。ノリとしては、日本テレビの番組「笑点」で企画された「座布団が10枚になったらレコードレビュー」みたいなものであるが(その時の企画で実際にレコード出したのが、今は座布団運びをしている山田隆夫)、レコードを出すのとライブを行なうのでは難しさが全く違う。CD制作は、初回プレスが数千枚から数万枚で、これを長い時間かけて売れば良い。武道館ライブは1回の同じ時間に数千人を集める必要がある。

 本書によると、武道館挑戦を決めた頃「渋谷DESEO(ライブハウス)のワンマンライブがソールドアウトで感動した」「2,000人も5,000人も1万人も想定外の数字」とある。調べたら渋谷DESEOの定員は250名。実に60倍である。「平屋の家ができたから、次は高層ビルを立てよう」と言っているようなものである。

●失敗から成長する

 もちろん失敗もある。宮崎奈穂子の所属事務所(Birthday Eve)は期限を決めてCD販売の目標枚数を設定する。2010年末から2011年にかけては「CDシングル新譜を50日で5,000枚」だった。実績を考えると少し背伸びした目標だったが、全く不可能な数字ではなかった。しかし結果は4,700枚足らず。1日100枚のCDを売れない人間が、武道館を満席できるのだろうかと落ち込んだ。

 しかし、そこからの巻き返しが素晴らしかった。実際に何をしたのかはぜひ本書を読んでいただきたい。要するに「武道館公演という、普通でないことをするには、普通のことをしていてはいけない」ということである。物理学者のアインシュタインも「今までと同じこと繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である」と言っている。

 「失敗は失敗として、次に何をするかが大切だ」というのは部下を指導する上でよく使う言葉であるが、実践できている上司も部下も少ない。いつまでも失敗を責める上司、次の手が思いつかない部下、これでは失敗から学べない。

 この時の落ち込みから、改めて歌手になった初心を振り返ってできた曲が『路上から武道館へ』である。あまりにストレートすぎる歌詞には賛否両論あるだろう(本書には歌詞も掲載されている)。「プロのクリエーターは、テーマをもっと丁寧に隠すべきだ」と言う人もいるはずだ。そういう意見はよく分かる。宮崎奈穂子自身、これをそのまま歌っていいのだろうかと躊躇したと書いている。しかし、このストレートさが彼女の持ち味であり、人気の秘密なのだ。路上でこの曲を聴きながら本当に涙を流す人が多いという。

 そして、企業回りが始まった。会社の朝礼、運動会、講演会など、今までとは全く違う場に出るようになり(柔軟性)、武道館のアリーナ席が完売した。

●支持する人がいる

 宮崎奈穂子が歌う『路上から武道館へ』の最初の山場は、最初に路上に立ったときの様子である。誰1人立ち止まらず、最後にやっと1人だけ「いい歌だね」と言ってくれたという。この一言で、彼女は路上ライブを続けることができた。大勢の支持がなくても、1人でも喜んでくれる人がいれば頑張れる経験を持った人は多いと思う。そもそも彼女が本格的に歌手を目指したのも、高校3年生の文化祭で歌ったら「いいね」と言われたからだそうである。

 仕事は、自分のためにするものではなくて、他人のためにするものである。だいたいにおいて、人間は自分の利益よりも、他人に役に立つことで強い満足感を得るようにできている。自分のためにはできなくても、他人のためならできることは多い。『路上から武道館へ』の最後に登場する「最初は私だけの夢だった、今は私だけの夢じゃない」というフレーズは印象的だ。

●おわりに

 本書は武道館公演の3週間前の内容で終わっている。実際の結果は、入場者6,000人。満席で1万5,000人らしいので、半分にも満たない数ではある。興行的に成功したのか失敗したのかは私には判断できない。しかし、路上を再現した舞台、それを活かした演出は素晴らしく、多くの新しいファンを獲得した。これを次の活動に活かしてほしい。

 繰り返しになるが、本書は「1人の歌手が武道館公演を実現する話」ではなく「キャリアを求めた1人の人間が、何に悩み、何を行なったかを振り返る話」として読んで欲しい。きっと得るものがあるはずだ。

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