生体認証に反対します
生体認証あるいはバイオメトリックス認証というのはどうも胡散臭い感じがする。
認証とは「私が確かに私であることの証明」である。
では、そもそも「私」とは何か。それは「独立した他とは違う人格」ではないのか?
生体認証は、身体認証であって、人格の認証ではない。
脳移植された人が出てきたらどうするのか?
記憶は、ある程度人格の一部だから、記憶に頼る「パスワード」の方がむしろ適当ではないのか。
もちろん、破られにくいパスワードを記憶する困難さというものはあるわけだけど。
最近面白いと思ったのは、画像や単語の順序をパスワードにするという方法。
個人的な体験の順序を示すことで認証に代えるものだという。
たとえば、池袋→荻窪→初台→新宿と並べられればOKとか。
ちなみに、これはぼくの勤務先のオフィスの引っ越し順。
パスワードの原則は「自分だけが知っていて、他の人は知らないこと」だから、オフィスの場所ではあまりに安易だが、少しひねればいいパスワードになると思う。
(が、「ひねれば」というところが難しいのだな)
そういうことを前から考えていたところ、森健氏の著作が出版された。
「『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか─情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方』
http://www.aspect.co.jp/np/details.do?goods_id=652
認証の話だけではなく、広くインターネットに関連する技術のリスクについて論じられている。機会があればぜひ読んで欲しい。
認証の話は最後の方に出て来る。ビッグ・ブラザーは私たちに望まれて登場するのではないか、という指摘は刺激的である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント