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2008年6月

2008年6月16日 (月)

【読書日記】フロン

岡田斗司夫「フロン」(幻冬舎文庫)
今年11冊目、出張中に読んだ3冊の最後。

夫婦関係についての評論。
読む気はなかったのだけど、とりあえずついでに読んどけ、ということで読む。

ご本人は、自分の論理展開にいたく感動されたようですが、フェミニズムを一通り見た人間から見ると、正直言ってそれほど目新しいものはない。
もっとも、上野千鶴子とテレビの田嶋陽子しか知らない人にとっては新しいかも。

それにしても、上野千鶴子が文句を言ったのが不思議。
(あの人は策士だから何か意図があるのでしょうけど)
フェミニズム(の一部)の基本は、家族単位から個人単位へのパラダイムシフトのはずで、だとしたら目的に応じてパートナーを変えることも不思議ではないはず。

同じフェミニズムでも、伊田広行だったら肯定したと思う。
実際、彼の著作には似たような話が出てきたと記憶している(確か1998年の「シングル単位の恋愛・家族論」)。

ところで、今調べたら伊田さん、いろいろ批判されてて大変そうです。
1週間ほどの中国旅行で同室だったよしみで同情します。

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2008年6月15日 (日)

【読書日記】オタク学入門

岡田斗司夫「オタク学入門」新潮文庫
今年10冊目

1996年に出版されたものを、文庫版で新装刊。
オタクがどんな風にものを見ているのかという入門書兼解説書。
こっちを先に読めば良かった。

ああ、そういえばこういう見方もしていたな、という印象。
自分で意識していなかった部分、全くしていなかった部分の両方があって(でも、そういう見方があることは知っていた)面白かった。

一番おかしかったのは「SONY SL-J9」のあるところにオタクが集まるという話。

SL-J9(通称ジェイ・ナイン)は、スロー、コマ送りが可能なベータマックス式ビデオデッキ。
ちらつきなしのコマ送りはこれが最初だったはず。
そりゃあ、もう、集まりましたよ、毎週。

機動戦士ガンダムの頃は、J9がまだなかったこと、関西では木曜日の午後5時という時間だったので、学校が終わってから、学校の近所の友人の家で見てました。
彼の家には珍しくビデオデッキがあったので、一応録画して、前の週に見逃した人のための上映会もやってました。

でも、テープは高価だったので、2週以上は保存せず、上書きしてました。
おかげでガンダムの終わることにはテープがよれよれ。

さて、巻末に追加された岡田斗司夫・富野由悠季対談は面白かったけど、本編の方は「オタクはすでに死んでいる」を読んだあとだと、絶滅文化の紹介記事に見えてしょうがない。

ローマ人の宴会は、食べたものを吐いて...
スパルタの軍事訓練は...

なんか、そんな感じ。

ところで、「オタクはすでに死んでいる」で書き忘れたこと。
「第1世代のオタクにとって宅八郎の登場は不快ではなかった」
というのは、まさにその通り。
彼の行動は明らかにテレビを意識したものだったので
「そこまでやるか」と感心はしたけど不快な感じはしなかった。
一般的に不快感を与える演出だと思ったけど、オタクにも不快感を持つ人がいたというのは初めて知ったくらい。

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【読書日記】オタクはすでに死んでいる

岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書)
今年9冊目

世の中で、オタクというものが肯定的に見られはじめたと同時に、「純粋オタク」が消滅したという話。
これは、確かに前から薄々気づいていたことだけど、岡田斗司夫がうまくまとめてくれた。

オタク的見方、たとえばアニメの作画がどうとか、このシーンはここのパクリだとか、特典が違うだけのDVDセットを毎回買ってしまうとか、食玩ほしさにケース買いするとか、そういうオタク的行為は一般化しつつある。

子ども向け番組を大人が見ることも抵抗ない。
柔道の井上康生は「我が柔道人生に悔いなし」と記者会見で言ったが、これは「北斗の拳」の羅王の台詞(あとでワイドショー見たら本人も認めていた)。
一流のスポーツ選手が、引退の記者会見で、アニメの台詞をパクルなんていうことは、昔では考えれなかったはず。

ところが、こんな風にオタク的行為が広まるとともに、本来オタクが持っていた共同体意識が薄れている。

ぼくらの頃は、美少女アニメが好きでなくても「トップをねらえ」は義務で見るべき作品だったし(見たら面白かったけど)、際どいところでは「くりぃむレモン-ポップチェイサー」まで見た。
(実は、庵野秀明が関わっていたことは最近知った)

ジャンルを超えたオタクの連携もあった。
特撮8mm映画を作っていた頃、Nゲージのジオラマ経験者が大活躍だった。
そのほか、東海道線の全駅を暗唱できる芸を持ったやつがいて、去年、同窓会で30年ぶりに聞いた。速度は落ちていたものの、記憶は確かだった。

最近は、ジャンルの違うオタク同士は一緒に遊ばないらしい。
それから「義務で見るべき作品」というのもあまりないらしい。
何しろ「自分の気持ち至上主義」なんで。

たとえば喫煙の習慣は世界中に広まったものの、宗教儀式としてのタバコの利用は消えたのと似てる(とは書いてないけど)。
オタク文化は、以前のような特定のコミュニティとしては死んだが、その一部だけが抽出されて社会全体に広まったと考えるのが自然ではないか。

そうすると、ぼくの周りの人は「アイヌ語をしゃべる最後の人」みたいな扱いか。
ずっと迫害されてきたことも似てる。
(いや、これは冗談。アイヌの迫害に比べればオタクの迫害なんて実害ゼロです)

ところで、タイトルはもちろん「北斗の拳」のパクリだが、そんなことはどこにも書いてない。
この程度のオタク的知識は常識となったからだ。
なかなかうまいタイトルだと思う。

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