【社会】阪神淡路大震災
昔話です。
1995年1月17日、連休明けの未明に大地震。
私の住んでいた京都はほとんど被害なし。
JRも阪急も止まっていたので、京阪で30分遅れで出社。
勤務先のあったニチメンビルはエレベータが停止。
非常階段は、破裂した水道管のため水浸し。
オフィスの天井は一部がはがれ落ちてました。
ほとんどの電話が不通。
携帯電話は、まだ加入者が少なかったので問題なく使えてました。
NTTは公衆電話を優先してつないでいたので、営業は主に公衆電話を使用。
昼前に、馴染みの営業さんから問い合わせ。
担当顧客と話をしてほしいという。
「管理者パスワードが分からないがシャットダウンしたい」
「できません」
「でも、浸水しているのでマシンを止めたい」
「じゃあ、ディスクの音が止まったら電源を切ってください」
今思えば笑い話です。
ディスクが水に浸かってしまったらどうせ壊れるのですから。
昼頃に、やっと神戸方面のニュースが入ってきた。
当時、教育センターのロビーには三洋だかシャープだかからもらった大型テレビがあったので、みんなで見る。
あまりの大惨事に、映画を見ているような錯覚を起こす。
数日後、顧客から電話。
「あの、Tさんにお願いしていたものの納品は難しいですよね...」
「申し訳ございません、Tは現在連絡が取れない状態で、安否も分かりません。ところで納期はいつですか」
「先週の金曜日なんですが...」
おい、地震前やんけ。
この地震で、友人が1名亡くなりました。
親御さんを亡くした友人もいます。
ちょうど独立して事業を始めようとした矢先の話。
幸い、事業は成功し、いつの間にか全国3拠点、社員(スタッフ)数300人と、うちの会社よりも大きくなってます。
ついでに紹介しておきます。
「株式会社ハート・アンド・キャリア」です。
渋谷に支店を出したときのパーティに顔を出して以来会っていませんが、たぶん元気なんでしょう。
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