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2013年7月28日 (日)

ラジオたんぱ「ヤロウどもメロウどもOh!」

長い前説

昔、ラジオたんぱ(現在のラジオ日経)で、「ヤロウどもメロウどもOh!」、通称「ヤロメロ」という番組あがありました。

もともとは「ギャングパーク」という同時間帯の番組があり、熱心に聞いていたのはこの頃です。

とはいえ、平日の夕方5時に家に帰ってくるのは難しく、ちゃんと聞けていたのは夏休みくらいでした。

ギャングパークの(そしてヤロメロの)メインパーソナリティは大橋照子という方で、現在もご活躍中です。

もともとは、BCLブームの影響で短波放送の聴取者が増えたこと、当時26歳の若手アナウンサーだった大橋照子さんの人気が出たことで企画されたようです。

BCL(Broadcast Listening)と言っても、多くの方は分からないと思いますが、1970年代後半から80年代にかけて海外の短波放送を聞くのが、中高生中心に流行しました。

ラジオたんぱ(ギャングパークの頃は「日本短波放送(NSB)」)は、もともと中継に頼らず日本中をカバーできる放送局として、昼間の大半の時間を株式市況の中継、週末は競馬中継をしていました。あと大学受験講座や、医療番組などもありました。

二カ国語放送がなかった時代、テレビ番組にあわせて英語音声を流すという試みもありました。確か「外科医ギャノン」。

かと思えば「セクシーオールナイト」という、アダルトな番組もやっていて、よく許可されたと思います。ゲストには日活ロマンポルノの女優さんが来ていました。

気象通報もやってました。NHKと同じ放送時間なんですが、中学時代、天気図を作る宿題があったので、実際に聞き取ってみるとNHKよりも早口です。よく考えたらCMが入る分だけ放送時間が短いのでした。

こうした公共性の強い(?)番組の中で、余った枠が音楽番組などに割り当てられていたようです。私が偶然聞いたのは、平日22:50-23:00の「ミュージックアルバム」で、そのパーソナリティが大橋照子さん。なんとスポンサーが付いていない番組でした。

中学生の頃は「そんなもんか」と思っていたんですが、今思えば民放でスポンサーが付いてないないって恐ろしいことです。

状況が変わったのが、確か1977年のキャンディーズ全国ツアーの情報提供番組に選ばれたことです。番組内のコーナーで、キャンディーズのコンサート情報や移動情報などを伝えていました。そのコーナーのスポンサーが三洋電気で「黒は強いぞ」というコピーのテレビのCMを流していました。リモコン搭載テレビのはしりです。

当時、インターネットはなく、リアルタイムに情報を伝えるのは新聞、テレビ、ラジオしかありませんでしたが、新聞やテレビで全国枠を確保するのは非常に高価ですし、ラジオの全国ネットは時間が固定されていません。

キャンディーズは文化放送で番組「ゴー・ゴー・キャンディーズ」を持っていましたが、ラジオのネットは地方ごとに曜日や時間が違うのが普通です。これでは「明日のツアー情報」をタイムリーに流せません。

そこで、1局で日本中をカバーする短波放送が選ばれたのだと思います。いまだったら、ブログとUSTREAMでしょうか。どちらも無料でできますね。恐ろしい時代です。

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ヤロメロ35周年

昨年、「ヤロメロ35周年記念番組」が開かれ、古いリスナーが集まりました。その5年前にも「30年記念番組」が開催されたのですが、なんとなく気後れして傍観していました。でも、この歳になると、もう次の機会はないかもしれません。意を決して35周年には参加しました。

リスナーにどうやって連絡を付けたのかは覚えていないのですが、インターネットでの告知や知人のつてを頼ったのだと思います。実家に何かが郵送されてきた記憶はないので、当時の名簿を使っていたのではないはずです。

ヤロメロ放送時は、生放送にもかかわらず写真撮影が自由だったのですが、現在は全面禁止。写真がなかったこともあって、ブログを書きそびれてしまいました。

35周年は、確かストリーミングで生放送されたと思います。「大橋照子のドキドキラジオ」という会員制の有料番組です。

ヤロメロは、多くのコーナーをリスナーが担当しており、ちょっと変わった番組でした。夕方からの放送なのに、朝からロビーにずっといる大学生、番組が始まってもロビーにいる人もいました(何しに来てるのでしょう)。

今思えば、局の人もよく追い出さなかったものだと思います。

たまに顔見知りのアナウンサーが通ると挨拶したり、ちょっとした雑談をしたり。アポなしで呼び出すこともできました。信じられません。

こんな状況なので、毎日来る人は顔見知りになり、そこから番組内のコーナーを担当しようということになったのでしょう。

でも、初めて来る人にも気を遣ってくれて、あまり排他的な印象は受けませんでした。20歳前の男のたちは、仲間内で固まることが多いのですが、スタッフの方がいつも気を遣っていた影響でしょうか。

私がスタジオに遊びに行ったときも、皆さん向こうから話しかけてきてくれました。スタッフの方から、番組内のラジオドラマのシナリオをもらったこともありました。ちなみに、このラジオドラマの脚本が当時ラジオたんぱのアナウンサーだった長岡一也さんで、ご本人も出演されていらっしゃいました。

35年周年の時も、当時のリスナー兼スタッフがコーナーを担当していて、同じあだ名で呼び合っていたのは笑いました。なんと「ドキドキラジオ」でも同じコーナーが続いているそうです。

みんなボランティアだと思うのですが、いかにも今風でいいと思います。サポートしたいと思う人に対して、無償で労働力を提供する。場合によってはこちらがお金を支払うというのは、評論家の岡田斗司夫さんが主張する「評価経済社会」や「FREEexシステム」に通じるものがあります。

35周年の時はゲストとして、ヤロメロの月曜日を担当していた斉藤洋美さんも登場。ラジオたんぱのDJオーディション、大橋照子賞を受賞したのをきっかけにレギュラーを持つようになった方です。

当日は、記念のワインが予約販売されていました。

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ラジオたんぱ(ラジオ日経)移転

去年、「同窓会」をやったので、今年は何もないはずだったのですが、ラジオ日経の入っている自転車会館が取り壊しになり、スタジオも移転するということで記念番組が企画されました。

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去年も感じたのですが、ロビーがずいぶん狭くなったように思います。

今回は、ラジオドラマ「アチャラカ王国物語」が再現されました。脚本兼ナレーターの長岡一也さんも登場です。

また、当時あった、競馬コーナーを使った実況中継、紙相撲の実況中継も長岡さんが担当されました。

当時はどちらも大橋照子さんが実況されていたと思うのですが、今回は競馬中継の大御所の登場です。私は競馬をしないので知らなかったのですが、その筋ではかなり有名な方だそうですね。

地方競馬では2頭のレースを実況したこともあるそうです。途中で言うことがなくなって困ったとおっしゃっていました。

追記1: みのわかよこさん

35周年や、今回のイベントに向けて、いろいろ探していたら「みのわかよこ」さんからの手紙が発見されました。本業は女優さんで、昔、ラジオたんぱの番組を担当されていました。

スタジオに遊びに行ったとき、ディレクターの方から「(スタジオに)入る?」と聞かれて、みのわさんの正面に座って収録に参加したことを思い出しました。1人の番組なので、私は一言も声を出していませんが。

何人に、こうして返事を書いていたのでしょうね。何年か前に、2時間ドラマの出演者に見つけたので、今でも女優業を続けていらっしゃるのでしょうか。できればもう一度お会いしたいものです。

リスナーの方から手紙をもらったこともあります。当時は個人情報保護の概念がなく、連絡を取りたい人の住所を簡単に教えてくれたようです。これはなかなかいいことだと思うのですが、今では違法になってしまったのが残念です。

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追記2: 西里扶由子さん

直接関係ないのですが、BCLブームの頃は何人かのアイドルアナウンサーも誕生しました。国内では大橋照子さんが断トツの人気でした(国内の短波放送は1局ですが、人気のあるアナウンサーには他に小野寺賀子(よしこ)さんとか、室谷昭子(むろたにあきこ)さんなんかがいらっしゃいました)。

海外放送局での一番人気は、やぱりラジオオーストラリアの西里扶由子(にしざとふゆこ)さんでしょう。

実は、数年前にお会いする機会がありました。名刺をいただいてからしばらくして気付きました。おそるおそる「あの、もしかして、昔、ラジオのアナウンサーをなさっていませんでしたか」と尋ねると、「いるのよねえ、そんなこと、覚えている人が、たまに」とおっしゃっていました。

現在はフリーのジャーナリストだそうです。

大橋照子さんの番組に出たこともあるのですが、大橋さんは覚えていらっしゃらなかったようです。西里さんはしっかり覚えていたようですが。

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コメント

通りすがりですが、現在の大橋照子さんのドキドキラジオの存在を全く知らずに過ごしてきましたが、先日偶然にしり、申し込んでしまいました。で、興味持って「ググって」いたのですが、横山さんと全く同じです。BCL、私1964年生まれですが、まさにそれにハマり小学校5年生から(考えると1974年なので、一致してきます)ハマり、やろメロも番組名が変わった時がありましたが、ハマり、それから英語少年になって行った私は、タンパの英語放送もリスニングの練習台で、今英語教師しています。考えると自分の将来にも色々関わったなと思います。東京で大学生はしていましたが、その頃は卒業してしまったのですが、今後何か大きな企画があるときは、ボランティアとして参加するかも知れません。突然失礼しました。

投稿: 島正昭 | 2017年10月 4日 (水) 05時48分

「ヤロ・メロ」に 今の「ツービート」(ビートたけし・きよし)がコンビ名「クソみそマン」として出演していましたね、「(くそ)ババア」って言ったり毒舌ブブラックユーモアの漫才 を試験的に試していた頃だったのでしょう、「山形(弁)いじめ」いじり で相方の「きよし」を罵倒していたギャグも この番組で始めていたような。

投稿: ハラ | 2022年1月19日 (水) 01時03分

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