「未来へ……」新井素子
新井素子さんの作品は、一時期かなりはまっていて、文庫化などであとがきが変わるたびに同じ本を買っていたくらいです。
今、Wikipediaで調べたら「ディアナ・ディア・ディアス」(1985年)で止まってました。
その後「チグリスとユーフラテス」(1999年)は読んで、これはとても面白かったんですが、その後もまたブランクがあって、復刊された「……絶句」を再読、読んでなかった「ブラックキャット」シリーズの後半を読んでいるうちに、「新井素子研究会」というTwitterアカウントを知り、そこから昨年出た「イン・ザ・ヘブン」を読みました。
「イン・ザ・ヘブン」は、短編集で、どれも面白かったんですが、特に表題作の「イン・ザ・ヘブン」が一番強い印象に残っています。最初は人情話かと思ったら、途中から一気にSFになり、余韻の残るラストまで引き込まれました。
そうして、先日、新刊「未来へ……」発売記念トーク&サイン会が開催されるということで、行ってきました。この時の様子は「新井素子『未来へ……』発売記念トーク&サイン会(追記あり)」をご覧ください。
「未来へ……」は、時間もののSFです。どこまでストーリーを書いていいものか分からないので、これだけ先に書いておきます。
「未来へ……」は、実にいいタイトルです。
このタイトルの良さを知るために、全部読んで欲しいと思います。
以下、ネタバレだろうが何だろうが、気にせず書きます。クララが立つことも、沖田艦長が死ぬことも、アクロイド殺人事件の犯人も、知っていても面白い作品は面白いんです。
ですが、結末を知りたくない人もいるでしょうから、そういう人はここから先は読まないでください。でも、なるべく本質的なことは書かないようにします。
2012年、成人式を迎えた菜苗は、香苗という双子の姉がいたことをかすかに覚えていた。菜苗は、成人式を機会にしまい込んでいた仏壇を出して欲しいと言う。それがきっかけになったのか、母親の若葉は1996年の夢を見る。しかも一晩で1日進む、リアルタイム進行の夢を。
1996年は、香苗が遠足に行くバスの転落事故で亡くなった年。若葉は、香苗を救おうと夢の中の自分に語りかける。
最初は、香苗だけを休ませるつもりだったが、1996年の若葉は、他の子を見殺しにはできないと反発する。そのため、遠足自体を回避する方向で検討するがうまい方法が見当たらない。
バスジャックして「バスを止めなければ自殺する」と脅そうかという、あまり良いとは言えない案しか思いつかないまま当日を迎えたが、バスが停車中、香苗が突然走り出し、追いかけているうちにバスが遅れ、事故を回避できる。
前夜、菜苗が香苗に夢でメッセージを送ることができ、とにかく逃げろ(走れ)と伝えたからだ。
走れ、未来は、その先にある。未来に向かって、走れ
翌朝、目が覚めたら香苗がいた、ということはなく、いるのは菜苗だけ。バスジャック計画を立て始めた頃から過去は徐々に変わっていき、事故を回避されたところで過去は別の道を歩んだらしい。改変されたここから先の未来はパラレルワールドになると別のところで示唆されていたので、これは納得できる。
以上が、ものすごく大ざっぱな本書のストーリーである。
作者の新井素子は「楳図かずおの『漂流教室』に登場する、子供が消えた母親を描きたい」と書いていたが、母の気持ちが本当によく伝わってきた。同時に、娘の菜苗の、母を思う気持ちも本当に良かった。
トークイベントでは「もともとこんなに仲良くさせるつもりはなかった」とおっしゃっていたが、実にいい作品に仕上がったと思う。
仮に香苗が助かっても、それはパラレルワールドに進むだけであって、死んだ人が生き返るわけではないし、逆に何かの事情で自分が消えてしまうかもしれない。それでも、今、死のうとしている娘を助けられるなら何でもするという気持ちは十分に伝わってきた。
香苗は香苗で、就職活動を控えた自分の存在を忘れたかのように、死んだ姉の心配をする母に対して、本当に良くサポートしていたのが素晴らしい。
新井素子は、若い頃は「命を食べる」ということがテーマの作品が多かった。デビュー間もない頃の作品には、人肉由来の「ヒトタンパク」が登場するし、「グリーンレクイエム」では植物であっても「命を食う」ことに差はないと主張し、「ひとめあなたに…」ではカニバリズムまで登場する。前期新井素子の集大成である「…‥絶句」では、人間が他の動物を犠牲にしていいのかと問いかける。
ついでに書いておくと「二分割幽霊奇譚」に登場する吸血鬼は「血を吸うと言っても、死ぬまで吸うわけじゃない」というところにも彼女の世界観が出ている。さらについでに「吸血鬼に血を吸われた人が吸血鬼になったら、世界中みんなが吸血鬼になる、そんな訳あるか」には笑った。
そんな風に「食」を描いていたのが「チグリスとユーフラテス」や短編集「イン・ザ・ヘブン」では種の維持という話になる。
テーマは変わっても、根本にあるのは「命」である。そのテーマが、年齢とともに広がっていて、さらに面白くなっている。
だいたい、生物が生きる目的は「現在の命=個体維持=食事」と「次の命=種の維持=生殖」しかないわけだが、そこに正面から向き合っている作品は意外に少ない。
しかし、本書が面白いのは関係の多重性にある。娘のことを「種の維持」のためと考えている母はいないだろう(江戸時代の武家だって、娘は「家」の継承者ではない)。百歩譲って「守るべきもの」=「種の維持」と考えたとしても、成人すれば自分をサポートしてくれる「大切な人」になる。
「未来へ……」では、ぼーっとしているように見える娘の菜苗が、周りが見えなくなっている母親をしっかりサポートするところが見所である。こういう娘がいるなら、親も悪くないかもしれない。
本当に面白い本だった。自信をもっておすすめする。
おまけ
2つだけ気になったことがあります。
1つは老眼の記述。「字が小さいので目を近付ける」という記述がありますが、老眼になると、むしろ目を離さないとよく見えません。でも、小さい字は離すとますます小さく見えるので、どっちにしても結局読めません。
新聞の縮刷版を読むのは、老眼鏡なしには無理ではないかと思います。ただし、近視の人はもともと焦点距離が近くにしか合わせられないので「メガネをはずして近くで見る」という手が使えるかもしれません(現在の私)。
もう1つは「お姉ちゃんだから」という表現。実は私の妹が一卵性双生児で、母からよく話を聞きました。大原則は「2人は平等だけど別の人間だから、比較しない」「同時に生まれたのだから姉も妹もない」、そして「必要以上にべったりしないように、学校のクラスは分けてもらう」です。
姉妹の区別をしないというのは本当に徹底されていて、家庭内ではただの一度も聞いたことがありません。先日、遺産相続の書類を書くとき、母との続柄欄に「長女、次女って書くのかな?」と躊躇して「子でいいのでは」という議論があったくらいです(保険会社の記入例も統一されておらず、結局「長女・次女」にした)。
2人を平等に育てたはずの若葉さんが「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言うのはちょっと不自然な気がします。
あと、一卵性双生児でも性格は違う。これは正しいんですが、体質は同じなので、一方が病弱っていうのもちょっと不自然です。幼い頃に1人だけ病気になったとか言うなら分かります。
ちなみに、正面から撮った写真だったら、2人の区別は付きますが、横顔で暗かったりすると難しいですね。母も時々間違えてました。
「運転免許は1枚でいいのでは、誕生日も同じだし」という冗談もありました(もちろんその種の不正は一度もしていませんw)。
大人になると、徐々に変わってきて、差が大きくなるんですが、それでも葬儀屋さんはそっくりな顔しているのでびっくりしてました。
双子の話を書くのだったら、聞いてくれれば良かったのに(笑)。
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